今日は徳川家康が江戸城に入城した日8/30【鹿児島市のB型事業所】

1590年8月30は徳川家康が江戸城に入城した日になります。

そこで今日は江戸城についてご紹介したいと思います。

江戸城築城の前

元々、江戸(現東京)に最初に拠点を置いたのは武家出身の江戸重継という人物だったとされています。

平安時代から鎌倉時代にかけて江戸氏の居館が置かれていたとされています。

最初の江戸城築城

15世紀に関東で騒乱が起こり、江戸氏は没落しました。

その後、扇谷上杉家の上杉持朝の家臣である太田道灌が、享徳の乱に際して康正3年(1457年)に江戸城を築城したとされています。

これが、最初の江戸城とされています。

当時の江戸城は「子城」「中城」「外城」の三重構造になっており、周囲を切岸や水堀が巡らせて門や橋で結んでいたとされています。

しかし、太田道灌が上杉定正により殺害され、江戸城は上杉氏の隠居城として使用されることになります。

家康の時代へ

1590年に豊臣秀吉が小田原攻め(現神奈川県)を行った際に江戸城が開城されました。

しかし、この頃の江戸城は今東京では考えられないほど、荒れ果てた場所だったそうです。

その後、秀吉の死後、みなさんもご存じの通り徳川家康が江戸の地で江戸幕府を開くことになります。

家康は荒廃の進んでいた江戸城の改築に乗り出します。

本丸・二の丸に加え、西ノ丸・三ノ丸・吹上・北ノ丸を新たに増築します。

その後も何度も江戸城は手を加えられかつて荒廃していた江戸城はついに日本の名城となります。

家康の死後も江戸城は徳川の象徴として建て続けました。

その後の江戸城

1868年新政府軍は鳥羽・伏見の戦いで旧政府軍(徳川)を破り15代将軍であった徳川慶喜に追討令を出しました。

1868年の3月15日に江戸総攻撃を行う予定となっていましたが、勝海舟・西郷隆盛の会談によって江戸城は無血開城を行うことになりました。

その後、江戸城は東京城(とうけい城)に名前を変更、所有権は新政府側に渡ることになりました。

1923年に関東大震災により東京城の一部が損壊し修理を行いました。

1945年空襲により大手門が焼失、1948年に現在の名称となっている、皇居と名前を変えました。

自然災害や空襲により何度も崩れたり、焼失している江戸城ですが、何度も復元され2006年には日本の100名城に選定されました。

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編集 文:吉永

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